轆轤に五十本の骨を使った骨太傘
明治初め、御師の廃絶に伴い職を失い、傘張りで生計をたてる者が多くなりました。その後、隆盛を極め、昭和十、十一年頃には宮川町一帯に下請けを含め百軒を超すほどに。 しかし戦後は洋傘の出現により衰退の方向へ進み、現在、伊勢には生産者はいなくなりました。
伝統工芸品名 | 番傘(ばんがさ) |
使用時代 | 江戸末~現在 |
使用材料 | 竹・和紙・糊・柿渋・荏油 |
特徴 | 骨太・廉価・丈夫 骨の取り付け轆轤径2寸に50本の骨。 |
宣伝道具、納涼用として製作
神宮の門前町として栄えた伊勢では商業活動が活発であり、団扇はその宣伝道具の一つとして利用されました。また装飾性の高い納涼用の団扇も多く作られました。
伝統工芸品名 | 団扇(うちわ) |
使用時代 | 江戸~現在 |
使用材料 | 竹・紙・糊 |
特徴 | 竹骨紙張り団扇 |
丁寧な手仕事が生む漆黒の艶
神宮の門前町として栄えた伊勢には神職の調度類の製作、補修の仕事が数多くありました。その一つ、浅沓は代々神官の浅沓師として仕えた伊勢市桜木町の久田家(ひさだけ)が担っており、後継の西澤利一氏が伊勢でただ一人の浅沓師としてその伝統を守っておられましたが、後継者がいない現在、伊勢でその伝統を守る生産者はいなくなってしまいました。
伝統工芸品名 | 浅沓(あさぐつ) |
使用時代 | 江戸~現在 |
使用材料 | 和紙・柿渋(かきしぶ)・蕨粉(わらびこ)・桐板・砥の粉(とのこ)・地の粉(じのこ)・生漆(きうるし)・蠟色漆(ろいろうるし) |
特徴 | 和紙による一閑張り型作り、本堅地蠟色塗立(ほんかたじろいろぬりたて)仕上げ |
大鋸粉を使って形作る、魔除けの置物
刳物と並び代表的な参宮土産であった練物。その起源や誰が始めたかは定かではありませんが、獅子頭(ししがしら)は魔除けの置物として戦前から作られていました。他の地方では張り子の手法をとることが多いなか、伊勢では大鋸粉(木粉)に糊を合わせ粘土状にしたものを型に押し込んで作っていました。大きなものも製作でき、明治時代には古市で四つ輪の台車に乗った馬の練物が売られていたと記録にあります(『郷土玩具のしおり』)。獅子頭や弓獅子など色が鮮やかなうえ動きがあり、さらに音が鳴るといったおもちゃの要素が巧みに取り入れられていましたが、唯一の生産者が廃業したため、現在、伊勢には生産者がいなくなってしまいました。
伝統工芸品名 | 伊勢玩具 練物(いせがんぐ ねりもの) |
使用時代 | 明治~現在 |
使用材料 | 大鋸粉・糊・膠・胡粉・塗料 |
特徴 | 大鋸粉を使っていることが特徴。かなり大きなものも製作可能である。 |
鮮やかな色彩が目を引く
戦後はけん玉やヨーヨーなどの玩具が中心になり、プラスチック製品におされつつも今なお作られています。他の地方の玩具に比べ鮮やかな色彩が施されていることが特徴。なかでも雷独楽と呼ばれる鳴独楽は伊勢独特のもので、動き・音・色と玩具の三要素を兼ね備えています。生産者の高齢化に伴い、平成30年3月より生産されなくなりました。
伝統工芸品名 | 伊勢玩具刳物(いせがんぐくりもの) |
使用時代 | 明治初~現在 |
使用材料 | 百日紅・チシャの木・塗料 |
特徴 | 他地方の玩具に比べ、鮮やかな色彩が施されている。 |
神宮社殿の千木を形取った白木箸
木箸の由来には諸説あります。一つは明治五、六年頃、宇治館町に住んでいた出水某という大工が仕事のかたわら木箸を作り売ったところ好評だったので専門の生業にしたという話、もう一つは同じく宇治館町の林次郎の創製という説、また、内宮門前のおはらい町にあった両替商が客に小品として渡したという話も伝えられており、いずれにしても参宮客相手の土産物として大そう評判を集めました。神宮の御用材の残材による製作が基本。形状は両宮社殿の御屋根の千木をかたどっており、内宮の千木は内削ぎ、外宮は外削ぎとなっています。生産者の高齢化に伴い、平成30年1月より生産されなくなりました。
伝統工芸品名 | 矢箸(やばし) |
使用時代 | 明治初~現在 |
使用材料 | 桧 |
特徴 | 神宮御用材の桧材による製作を基本とし、神宮の千木を形取る。 |